ベルリン州立ギャラリーの『11月グループ』展
Berlinische Galerie(ベルリン州立ギャラリー)で2019年3月1日まで『自由―11月グループの芸術1918-1935』展が開催されている。これまで11月グループは、同時期に発生した反美術・反制度のアヴァンギャルド運動とは一線を画した、美術史上に留まることを疑問に持つこともない職業美術家たちの「古典的な新派」であるとどこかで勝手に認識していたが、会場展示されているグループの内容を紹介する豊富な資料の数々に、自分の不勉強ぶりを心から恥じることになった。
「1918年11月」―このグループが1935年に強制的に解散させられるまで続いた名称が、この集団の課題と方向性を何より指示している。第一次大戦後、キール軍港での水平の反乱に始まり、ドイツの大都市で次々に起こった革命が「11月革命」であり、それによりヴィルヘルム皇帝は退位し亡命、帝政は終了した。民主的な社会を作ろうとする人々の力が盛り上がりをみせたこの「11月」を、そしてそのマニフェスト曰く「自由」を、「精神の革命性」を根底に据えたすべての芸術の結束であり、ゆえにいかなるドグマも持たず、だからこそ後期表現主義、ダダ、構成主義、新即物主義、バウハウス、ニューミュージック、ニュービジョン、絶対映画と、あらゆる試みのプラットホームとなり得た。
11月グループは、あらゆる方向性の視覚文化のアヴァンギャルドを展覧する組織でもあり、『NG』(11月グループ編集の雑誌)は、その作品の背景にある思想や影響としての批評を披露する場所でもあったわけで、当時の芸術文化の状況を知るための資料としての意味は極めて大きい。これまでdie AktionやSturm、der Dadaや、MAといった個別のアヴァンギャルドを知る雑誌資料は存在していたが、あらためてNGを見てみる必要を強く感じた。
そして最も新鮮に驚かされたのが、11月クループが組織した多くのパフォーマンス(イヴェント)の存在である。コスチューム・フェス、音楽フェス、といったプログラムに、実際に11月グループのアーティストたちが仮装して並ぶ写真などの視覚資料、なかでもハンナ・ヘーヒがデザインしたそのパンフレット等(「11月グループ芸術家コスチューム・フェス」ベルリン・ヴェディング地区で開催、スポーツと縁日Sport und Rummel am Wedding,1925年)が賑やかで興味深い。NGのより広範な演劇的実践の詳細については、実は全く研究がなされていない部分ではないかと思う。芸術家が社会に果たした役割は、日本とは異なり、ドイツではそしてベルリンでは非常に大きく、当たり前の「広がり」を持っている。
もう何度も足を運んでいる常設展に、今回ハンナ・ヘーヒがナチスより芸術活動への検閲として、信条の確認を問われた記録文書を発見した。服従を強いる文面に「いいえ」とシンプルに署名を拒否した彼女の丸みを帯びたno(nein)の筆跡に、11月グループの影の功労者であった彼女の存在が浮かび、思わず胸が熱くなった。
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