やなぎみわ展「神話機械」ライブパフォーマンス
2月2日(土)~3月24日(日)まで、高松市美術館でやなぎみわ展神話機械MMが開催されている。2月2日(土)と3日(日)は、19:00より、そのメイン会場にて、高山のえみと内橋和久(音楽)、そして4台のマシーンによるライブパフォーマンスが行われた。
場内にセットとしてすでに配置されているマシーンは、中央奥にテルプシコラー《振動マシーン》、そのすぐ左手にメルポメネー《のたうちマシーン》、入口すぐに配置されている、一番手前を占拠しているのがムネーメー《投機マシーン》の3台で、これらはサブマシーンの位置づけ。
舞台が始まり照明が暗くなると、そこにフードコートを深くかぶった「墓堀人」とギタリストが登場。墓堀人は、懐中電灯を手に、床にある本をめくって台詞を読む。そこまでが前芝居で、その後メインマシーンのタレイアがピンク色の強烈な光線を発しながら登場すると、場面はコートを脱いだオフィーリアのストリップや喜劇的なせりふ回しに変化する。
タレイアから声が発せられているのか、会場で録音が流れているのかちょっとわからなかったが、「オフィーリア」としてであれ、「ハムレット」の役であれ、役者はタレイアというメインマシーンのあくまで付随的な役回りを演じていく。
メインマシーンが退場した後の、「わたしはハムレットではない」「わたしのドラマは起こらなかった」というハムレットと作者ハイナー・ミュラーのIDがやがて完全に一致する、果てしのない嫌悪のモノローグ。
「ハイル・コカ・コーラ」
「暗殺者ひとり手に入るなら、王国一つくれてやるのに」
使命だと信じ背負っていた宿命こそが無価値の代物と判明したとき、私は私を放棄して消滅を図る。
「私はマシーンになりたい。」
役者はここで動きをとめていたサブマシーンのスイッチをいれる。そしてそこに、「わたしは誰」という脱構築の物語を開始する。メインマシーンのタレイアが登場。最後の場面である死んだオフィーリア=エレクトラの喜劇的なせりふ回しを終え、役者が走り去ったのちも、マシーンたちは、のたうち、振動し、光を発する。
今回やなぎみわによりアレンジされた台本の原作のうちの大部分は、東ドイツの劇作家ハイナー・ミュラーによる、わずか数ページの凝縮されたテクスト、あるいは『ハムレット』の結論のような5景からなる詩『ハムレットマシーン』(1977年)が占めている。『ハムレットマシーン』は、今では現代演劇の古典のような存在となり、ニューヨークでのロバート・ウィルソンのポストモダン的で記念碑的な演出をはじめ、これまで世界中の舞台で上演されてきた。
日本においても現代演劇研究者を中心にハムレットマシーンを研究するプロジェクトは90年代には立ち上がり、錬肉工房での1998年の上演などを含め、難解であり、また歴史的コンテクストも全く異なるこの作品に果敢に立ち向かう劇団や劇場の試みは、これまで決してなかったわけではない。
だが、今回のやなぎみわによる『ハムレットマシーン』は、これまでの人間の悲喜劇が中央に否応なく占拠する演劇上演とは一線を画す試みであったことは確かである。ここで中心に位置しているのは、間違いなくマシーンたち、である。マシーンによる『ハムレットマシーン』である。
実は、前日まで問題なく作動していたというムネーメー《投てきマシーン》は、当日動くことはなく、役者が手で投げるという場面があった。『ハムレットマシーン』の作品に文学的に示されるマシーンと同時に、いやそれよりずっと全面的でダイレクトに、私たちは出番を押し付けられたマシーンたちの機嫌に向き合わされてしまう。つまり、テクストレベルで考えるマシーンよりも、もっと現実的なレベルでのマシーンが、そこでは前景化しているのである。
そのことが、どこまで意図され、ハイナー・ミュラーによる『ハムレットマシーン』というテクストの言葉そのものがどの程度マシーンたちの動き(あるいは停止)に連動しているのか。やはり気になったのはその部分だ。そしてまた、どの程度観客に(あるいはマシーンの制作者たちに)ミュラーの言葉が届いたのか、それも大いに気になった。
いずれにしても、やなぎみわのねらいは、最後の役者が退場した後に残されたマシーンたちの風景にあったのは間違いないと思う。この残されたマシーンたちの風景から、消えていったイアソン、ヘラクレス、オイディプス、マクベス、リチャードIII世、ラスコーリニコフの物語を逆再生すること、ハムレットとオフィーリアをよみがえらせること、男と女、神々の神話を蘇生させること。その死後の再生を、モノの存在から、マシーンからアプローチするという大胆さは、先例がない。美術家による演劇ならではの、新たな領域としか言いようがないのではないだろうか。
タレイアが発する艶っぽさは何だろう。
翌3日(日)の無人上演の様子。振動マシーンとのたうちマシーンのシルエットが影絵のように映し出されている。
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